ULDAH MINISTRY

LETTER TO THE BROTHERS AND SISTERS IN CHRIST

わたしに問わなかった者たちに、わたしは尋ねられ、わたしを捜さなかった者たちに、見つけられた。

イザヤ65:1

第105号  2004 年6月25日


   先月号ではイサクの信仰の歩みをたどりました。今月はヤコブを取り上げます。イスラエルの族長ヤコブはイサクやヨセフのようにやがて顕れる救い主イエスの予型としては語られていませんが、イスラエルの十二の部族の父として登場する重要な人物です。後に神の民の国家名となるイスラエル(「神が支配される」、しかし「神と格闘する」という意味に捉える解説書が多い)と命名されただけでなく、後世子孫が神に言及する都度、イスラエルの三大族長「アブラハム、イサク、ヤコブの神」として名が繰り返し語られてきたのでした。へブル人の手紙の著者は、「信仰によってヤコブは死ぬとき、ヨセフの子どもたちをひとりひとり祝福し、また自分の杖のかしらに寄りかかって礼拝しました」(ヘブル人11:21、創世記47:31)と記していますが、イサクと同様、ヤコブの人生も決して優等生的な歩みではなく神との闘い、波瀾、試練の連続でした。最後には信仰の人として神のみ許に召されたのでしたが、ヤコブ自身が、初対面のパロを大胆にも祝福したときに答えた言葉は、説得力のある信仰の証しを期待する者にはなんとも悲観的で物足りない、むしろ不信仰とも思える自己評価でした。「わたしのたどった年月は百三十年です。私の齢の年月はわずかで、ふしあわせ(困難)で、私の先祖のたどった齢の年月には及びません」(創世記47:9)。しかし、これがエジプトに移住するまでのヤコブの本心だったのでしょう。ヤコブはパロに謁見というこのまたとない機会を利用して、しかし、人生は、この世での一時的な滞在、巡礼の旅に過ぎないという信仰表明をわずかな挨拶の言葉の中に二度繰り返したのでした(邦訳の「年月」は巡礼の旅、滞在の意)。神を信じてはいたが完全には依り頼むことの出来なかったヤコブが死を目前にした十七年後に病床で、表明した証しは、「きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神。御使いを送ってすべての災いから私を贖われた神」(創世記48:15−16)という、人生は短く日々は困難の連続であったが、神はいつも私を養って下さったという紛れもない信仰告白でした。それでは、このヤコブの人生の遍歴を聖書から吟味してみましょう。
   神の預言「一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える」(創世記25:23)の成就を信じた母リベカに寵愛され、預言のように生きることを願った穏やかな性格の次男ヤコブは母の指示するまま、まず兄エサウから長子の権利を巧妙にだまし取り、次に父から長子に継承される祝福をも、父イサクをだまして横取りします。心理学者ユングの用語を用いるなら、『マザー・コンプレックス』とは、当時のヤコブの精神状態をぴったり言い当てたものでした。しかし、陰謀に成功したものの兄エサウが殺意を表明したことにより、ヤコブは母の許を初めて離れ、母の兄ラバンのいるカランへと長い旅路、逃亡の途に就くことになります。もしヤコブの身辺に何も起こらなければ、一刻の猶予もなく一人旅に出なければならないというようなことはおよそ起こらなかったでしょう。しかしこのことは、神のみ旨であり、父イサクの意向でもありました。「カナンの娘たちの中から妻をめとってはならない。さあ、立って、パダン・アラムのおまえの母の父べトエルの家に行き、そこで母の兄ラバンの娘たちの中から妻をめとりなさい」(創世記28:1−2)と、祝福と神の約束の言葉で励まされ、ヤコブは旅立ったのでした。旅の途中、前途が全く未知であるため心細い思いのヤコブに神が顕れ、ヤコブは人生で初めて神のご臨在を体験します。べエル・シェバを発っておそらく二日目、ルズの町の近くベテルで、石を枕に眠りに就いたのでしたが、奇しくもそこは祖父アブラハムがかつて神に祭壇を築いた所でした。その夜、神が夢の中に顕れ、ヤコブを祝福します。聖書には、ドダンにてエリシャの召し使い、ダニエル、ザカリヤ、マリヤ、ヨセフ、キリストの甦りの朝、空の墓で婦人たち、パウロ、黙示録を記したヨハネという具合に、天の御使いを見た人たちが登場しますが、ヤコブの見た夢ほど天を地に近く感じさせる、御使いたちの臨在感を如実にした体験はなかったでしょう。神の回りにはべり、「仕える霊」として「救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされた」御使いたち(ヘブル人1:14)が天から地に降ろされた階段を上り下りしていたのです。しかも主が傍らにおられて、つい先ごろ陰謀で獲得した祝福を、今主ご自身が授けて下さったのでした。神の祝福と守りの言葉に励まされ、感無量になり、ヤコブは今後神の与えて下さる恵みを神に忠実に還元することを誓いますが、その先ヤコブが歩もうとしていた道は決して楽な道ではなく、自分が蒔いた種の刈り取りの道、すなわち、信仰を完成するために通らなければならない「狭い道」でした。神のご臨在、守りの確信は、未知の未来を惑わされずに正しく歩むためにヤコブが備えておかなければならない必要条件でした。
   二千年後にイエスはこのヤコブの夢を、「まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます」と、ご自分に関連づけで解釈され、ナタナエルの疑問に答えられました(ヨハネ1:43−51)。ナタナエルという名のユダヤ人が、自分のような凡人はどのようにしたら、神がいつもともにいて下さるということを知ることが出来るだろうかと、程よい木陰が得られるいちじくの木の下で思いにふけっていました。そのようなとき、イエスの弟子になる召名を受けた友人のピリポが、ナタナエルにイエスを紹介します。メシアはベツレヘムからと、当時の思考形態、律法解釈をそのまま受け入れ、「ナザレから何の良いものが出るだろう」と当初猜疑心を抱いていたナタナエルも、イエスに出会って即座に、「あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」と信仰表明をします。それに対するお答えとして、イエスはご自身をヤコブの夢の中の「はしご」(階段)にたとえて、自分こそ聖なる天(神)から罪に汚れた地(人間)に下って来たはしごであり、この道を通ってのみ、人は地から天に上ることが出来る、すなわち、神に近づくことが出来る。そして、その道が今開かれたことを示されたのでした。今、天と地の橋渡しをする人物、ユダヤ人たちが祈り求めて来たメシア、救い主が神を求める者ナタナエルの目前にいる。救い主イエスを受け入れることが、つまり、神がともにいて下さることの確信になるというお答えだったのです。このように、だれでもヤコブのように、「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった」(創世記28:17)と信仰告白するとき、その場所が各自の「天の門」、「神の家」(ベテル)になるのです。
   さて、ラバンの家に迎え入れられたヤコブは一目でラケルを愛し、七年間の労働を結納金として結婚の約束をします。果たして七年後、母リベカの兄ラバンのだましにより、ヤコブの愛した妹ラケルではなく、まだとついでいなかった姉のレアと結婚させられたヤコブはさらにラケルのため七年間の重労働に同意します。しかし逆境にあって、神の祝福は豊かです。ヤコブは多くの子に恵まれ、アブラハム、イサクの神を知らないルベンの目にも、「私はあなたのおかげで、主が私を祝福してくださったことを、まじないで知っている」(創世記30:27)と、神の祝福はヤコブの周りにも惜しみなく注がれたのです。しかし、実生活においては、過去犯した自らのだましをはるかに上回るラバンのだまし、欺きに、悪に対し善で報いる驚くべきヤコブの忍耐力、義父に対する忠誠が高く評価される一方で、優柔不断で厄介事には見て見ぬ振りをする、父権を行使できない軟弱な父親像が、そばめ二人を含む四人の妻とその子どもたちを統率して行く能力の不足と相次ぐ不祥事の勃発に、浮き彫りにされて行くのです。
   ヤコブは神から少なくとも七つの啓示を受けたことが記されていますが、そのうちの一つは、ヤコブをラバンの許で飛躍的に富ませることになった家畜のビジョンでした。ヤコブがビジョンで示された家畜はすべて、べドウインの羊や山羊には珍しい種類、しま毛、ぶち毛、まだら毛のもの、黒毛の羊だけでした。そこで、主が示して下さったように、ラバンにヤコブの労働の報酬を願ったところ、珍種の家畜ばかりが勢いよく繁殖し、六年間のうちにヤコブはもう十分大家族を養っていけるだけの大変な物質的恵みを得ることになったのでした。神が約束された守りのうち、ヤコブは一族郎党引き連れて、二十年ぶりに平和裏にラバンの許を去り、カナンへと向かいます。しかし、最後の難関は兄エサウとの対面で、神に完全には頼り切れないヤコブは、最後まであれこれ方策を考え、心が定まらないうちについに翌朝エサウと対面という事態に追いやられます。その土壇場の真夜中、エサウならぬ神と格闘するという不思議な出来事が起こります。不安、恐れにおののき、気をもみ、人間的方策に走るヤコブの問題は、神との関係にあったのでした。祝福の源が神であるという確信に到るには、肉体に神の刻印が刻み込まれなければならなかったのです。格闘の結果、神がすべてを司っておられるということを知ったヤコブは、もはや古き人、だましやではなく、神に支配される者イスラエルとして生まれ変わったのです。その刻印は歩行困難という肉体への障害でしたが、神のご介入により恐れが取り除かれ、すべてを主に任せ、自らを無にすることが出来るようになったヤコブのエサウとの対面は、予想だにしなかった和解に終わったのでした。神はエサウの側にもご介入され、二人の再会が平和裏になされるよう導いて下さったのでした。
   しかし、カナン入りしたものの、父イサクの許へ戻ろうとせず、シェケムにずるずると滞在しているうちに、次男シメオンと三男レビがシェケムの町の男子を皆殺しにするという不祥事が勃発します。割礼を受けて自分たちと同じようになれば、シェケムの息子と彼によって強姦された妹のディナとの結婚を許すと、父ヤコブを差し置いて息子たちが勝手に条件を出し、もくろんだ虐殺事件、陰謀でした。シェケムでの悪評を恐れ、ヤコブはついに移動せざるを得なくなります。ベテルからベツレヘムを経てイサクの許へと大移動の間にも、災いはヤコブを追ってきます。ヤコブが九十歳を過ぎてやっとラケルとの間に生まれた、ヤコブにとっては寵愛の十一男ヨセフが、兄たちのねたみによってエジプトに向かうミデヤンのイシュマエル人に奴隷として売られるという悲惨な出来事でした。ヤコブにはヨセフが悪い獣の犠牲になって殺されたと告げられたため、二十二年後にエジプトの大臣になっていたヨセフと再会するまでは、ヤコブは息子たちにずっとだまされ続けていたのでした。十七歳にもなったヨセフのヤコブの人生からの突然の消失はヤコブにとって悲嘆のやり場のない損失で、家族はますます分裂に拍車をかけて行ったに違いありません。父の慰められることのない悲しみを見るに忍びなくて、四男ユダが兄弟たちから離れて、多神教、偶像崇拝、人間犠牲などがちまたで行なわれているカナン人たちの間に天幕を張ったのはそのようなときでした。そこへまた、災禍は容赦なく訪れます。寵愛のラケルがヨセフに次ぐ二人目の息子ベニヤミンを難産の後死亡という悲劇です。しかも、心を一新して、「ベテルに上って行こう。私はそこで、私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に祭壇を築こう」(創世記35:3)と、一族中の異国の神々、偶像を取り除き、身を聖め、二十二年前、神の御臨在を体験して感激したベテルで祭壇を築き、新天地に向けて移動中の出来事でした。それはかつてヤコブがラバンの家の守り神、偶像を盗んだと濡れ衣を着せられたとき、愛妻ラケルが盗んでいたとは露知らず、「あなたの神々をだれかのところで見つけたなら、その者を生かしてはおきません」(創世記31:32)と誓った呪いが、ラケルの早死として実現してしまったかのようでした。ラケルをベツレヘムへの道に葬った悲嘆から覚めやらないうちに、今度はまた、長男ルベンのヤコブのそばめビルハとの不倫という問題が発覚します。父の生存中にまだ継承していない長子の権利を先取りするようなルベンの法外な侮辱行為は、しかし、ラケルの死後、ルベンの母レアを差し置いてラケルの召し使いでヤコブのそばめでもあったビルハの天幕に移った父に対するルベンの抗議であったことが多分に考えられるのです。結婚の初日から、ラケルとの比較で辱められてきた母レアを憐れむ長男ルベンの父に対する侮辱行為は、ラケル亡き後のヤコブをビルハではなくレアに向けるため、長子の権利剥奪の凝らしめを十分承知の上での精一杯の母への親孝行であったのかも知れないのです。不名誉なことに、ヤコブ一族の問題はまだ続きます。人間の側で心を一新したから幸いが続くだろうという思惑とは裏腹に、信仰の歩みは確かに狭い道です。  

 

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