ULDAH MINISTRY

LETTER TO THE BROTHERS AND SISTERS IN CHRIST

わたしに問わなかった者たちに、わたしは尋ねられ、わたしを捜さなかった者たちに、見つけられた。

イザヤ65:1

第57号  2000 年 6 月 30 日


「しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません.一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです.あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」さて、金の好きなパリサイ人たちが、一部始終を聞いて、イエスをあざ笑っていた.イエスは彼らに言われた.「あなたがたは、人の前で自分を正しいとする者です.しかし、神は、あなたがたの心をご存知です.人間の間であがめられる者は、神の前で憎まれ、きらわれます。...」...ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。ところが、その門前にラザロという全身おできの貧乏人が寝ていて、金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた.犬もやって来ては、彼のおできをなめていた.さて、この貧乏人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた.金持ちも死んで葬られた.その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた.しかも、そのふところにラザロが見えた.彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。そればかりでなく、私たちとお前たちとの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』彼は言った。『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』しかしアブラハムは言った。『彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。』彼は言った。『いいえ、父アブラハム。もし、だれかが、死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません。』アブラハムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」
                ルカの福音書16:13〜15、...19〜31

   聖書の中で天国と地獄とを対照的に描いている個所として一般的に解釈され、福音伝道にもよく用いられるイエスのたとえ、『金持ちとラザロ』のくだりです。しかし実際は、このたとえの登場人物「金持ち」には、金の好きなパリサイ人に象徴されるように、アブラハムの子孫であること、また、モーセの律法を守っていることを誇り、「人の前で自分を正しい」とみなしていたユダヤ教徒たちの姿が投影されており、同胞ユダヤ人たちから罪人とみなされ、社会から疎外され、この世では辱めの生活に甘んじていたキリスト教徒の姿が、「ラザロ」に象徴されているのです。従って、このたとえは信者、未信者の来世を取り扱っているのでも、天国、地獄を描いているものでもないのです。

  聖書では、主イエスを受け入れないで死んだ者は、「黄泉、ハデス(黙示録20:13〜14)と呼ばれる暗闇の待合所に下り、主を受け入れた死者は主の臨在される信者の待合所「パラダイス(ルカ23:43、黙示録6:9〜11)に行くことが語られています。また、「硫黄の燃えている火の池」と表現されている地獄、ゲヘナと、「神(天)の御国」と表現されている天国が完成し、居住者がその何れかに振り分けられることになるのは、イエス支配の千年王国が地上に起こる時であって、現時点ではまだ未完成か、無人状態であることも語られています(黙示録19:20、20:14〜15、ヨハネ4:2〜3)。しかし、死後すぐに究極的な終着地(天国あるいは地獄)に行かず、まず一時的な待合所に行くことが、『煉獄』という場所に導かれ、死後も福音伝道のチャンスが与えられるとする教えを支持するものであるかといえば、そうでないことはこのイエスのたとえから明らかなのです。死後の金持ちとラザロの居る場所との間には、「大きな淵」があり、移動不可であることから、すなわち、死の瞬間、究極的な行き先が決まることが示唆されているのです。残念ながら、『煉獄』という中間地帯を想定しての救いのチャンスは聖書には語られていないのです。この世に生きることが許されている「今」、決意しなければ、永遠のいのち」に至る道を選ぶチャンスは二度とないのです(へブル人、3、4章)

  このたとえには、旧約の預言者たちが歴代語ってきた来るべきユダヤ人の「救い主」として、イエスを受け入れなかったユダヤ教徒たちにとって、伝統的信仰の土台が揺るがされるような意外性が含まれていたのでした。イエスは、モーセの律法を表面的に遂行するという宗教的儀式を守ることが神の御旨に従うことであると信じていた当時のユダヤ教徒たちに、正しい律法解釈、旧約聖書の解き明かし、父なる神のご計画、すなわち、『神のひとり子キリストによる全人類の救い』を教えたのでした。しかし、心を開いて教えを聞こうとしなかった彼らに、たとえを通して、彼らの誤った信念を辛辣に指摘されたイエスは、反発を買うばかりでした。以下五点が指摘出来るようです。まず、自らを敬虔な信者として誇り、自己義認の優越感に陥っていた『金持ち』と、救われ得ない罪人とさげすまれ、社会のくずのように扱われていた『ラザロ』との死後の境遇の大逆転は、イエスの福音を受け入れたか否かに起因するものでした。第二に、かつて悪の故に滅びると宣告されたソドム、ゴモラの町のために神に執り成しをし、甥のロトの家族を救った、あのユダヤ人の誇り高き大父祖アブラハムが、ここでは、必死に懇願する金持ちの執り成しの要望を拒んだのでした。しかもその理由が、「金に執着するのでなく、愛の心で貧しい者に施しをし、神の喜ばれることをして神に仕えなさい」というイエスの教えを無視したことにあるというものでした。第三に、神に執り成す者としてユダヤ人頼みの義人アブラハムが、生前イエスを拒んだためハデスに下ったこの金持ちの救済のため、すなわち、金持ちが神の国に入るための手助けを何もしてくれない、むしろ出来ないというジレンマでした。第四に、イエス・キリストの御許にいるアブラハムが金持ちに伝えたことは、ユダヤ人が精通していると自負していたユダヤ教の正典、旧約聖書(「モーセの律法と預言者」)をしっかり学ぶようにという警告でした。キリストの支配下においても、旧約聖書の権威、教えは継続され、その教えに忠実に聞き従うなら、ユダヤ人も救いに入れられる、すなわち、旧約聖書を正しく理解するなら、イエスを救い主として受け入れることが出来るはずであるということが指摘されたのでした。最後に、何故自分がハデスに下ったのかという現実に反省の余地もなく、最初から最後まで生前の横柄な態度でラザロを召し使い扱いし、死後逆転の境遇に置かれたことにただ怒りで反応している金持ちの悔い改めのない姿勢に、そのような者たちばかりが雑居しているハデスが想像を絶する肉体的、精神的苦痛の場所であるということが示唆されているようです。

  このたとえに反映されているのは、イエスによる神の憐れみの救いが、旧約聖書を時効にし、モーセの律法を無効にするものでは決してなく、むしろ、イエス・キリストの初臨によって全人類にもたらされた福音は、旧、新約両聖書の教えを完成させるものであり、ニ千年前、イエスを拒否したために今も救い主が到来するのを待っているユダヤ人にも、旧約聖書の正しい理解を通して、そこに預言されているユダヤ人の救い主、イエスへの信仰告白へと導かれるときが来るという、イエスの洞察なのです。真の信仰とは、あっと驚くような奇蹟、癒し、出来事を通して衝動的に受け入れる類のものではなく、使徒パウロが説いたように、聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。(ローマ人10:17)。「永遠のいのち」という確かな希望、比類ない報酬がなければ、だれも終着点に着くまで耐えようとは思わないほど、信仰の道はこの世に相容れず、険しいのです。


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This month a money gift of has been sent to FREDERIC ‘s Ministry in Kenya to help the refugees’ spiritual and material needs. He is now in the midst of a 7 week mission at Kakuma Refugee Camp. He has reported what he sees there. The camp is located in a very hot and famine-stricken, deserted area, far distant from the cities and towns. The fact that people need to change the transportation three times at the cost of more that is ten times more expensive than an average daily earning in Kenya and also, due to frequent mob activity by a tribal people living in the surrounding area, an escort of soldiers is needed to get there. Thus, access to the camp is very difficult for Christian organisations. Without appropriate food and water supply (usually beans and maize grains given by UNHCR and only sporadically, wheat flour), around 90,000 refugees are just facing imminent death. Pray for Frederic’s and fellow-workers’ effective ministry and God’s intervention to many souls’ salvation.

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