ULDAH MINISTRY

LETTER TO THE BROTHERS AND SISTERS IN CHRIST

わたしに問わなかった者たちに、わたしは尋ねられ、わたしを捜さなかった者たちに、見つけられた。

イザヤ65:1

第61号  2000 年 10月 27 日


  エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて言われた。「お前も、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、周りを取り巻き、四方から攻め寄せ、そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。            ルカ19:41〜44
   その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。この地に大きな苦難が臨み、この民に御怒りが臨むからです。人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。                                              ルカ21:23〜24
   ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者、わたしはめんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。わたしはあなたがたに言います。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に。』とあなたがたの言う時が来るまでは、あなたがたは決してわたしを見ることができません。                           ルカ13:34〜35


   イエスの預言通り、イスラエルの神が住まわれると誓われたエルサレムは異邦人たち、すなわち、ユダヤ人以外の諸国民によって、剥奪、奪還、分割の歴史を繰り返して来ました。今もなお、主の再臨による預言の最終的な成就の時を待って、関連諸国との和平交渉で揺れ動いています。特に聖地エルサレムの帰属問題に関する「最終地位交渉」と呼ばれる、イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)との話し合いが今月行なわれたため、それに伴う流血沙汰、戦闘騒ぎで世界中の関心が中東に向けられたのでした。しかし、「1967年の第三次中東戦争でイスラエルがシリアのゴラン高原、エジプトのシナイ半島に加え、パレスチナ人が住むガザ、ヨルダン川西岸を占領したことで、複雑さを増した。これ以降、パレスチナ解放闘争が激化し、…」、「イスラエルがどこまで撤退し、パレスチナ領土(国家)との境界をどうするのか」、「故郷を追われたパレスチナ人難民の帰還権を認めるか」等々、英国、日本ともに、メディアはPLOの浅い歴史に触れず、国家としての当然の権利を強調する内容の報道をしているようです。イスラム教のアルアクサ・モスクのあるエルサレムの『神殿の丘』がイスラム教の第三の聖地として、イスラム教徒が主権を主張するのが当然でもあるかのように報道されているのも気になります。中東で起こっていることを正しく判断するために、イエスが愛された都 ―そこに振りかかろうとしている恐ろしい裁きを予見され、イエスが泣いて預言されたエルサレム― の歴史を、聖書の時代にさかのぼってたどってみる必要があるようです。今月はまず、今日に至るまでのエルサレムを眺望したいと思います。
   イスラエルの、領土『カナンの地』に対する主張は四千年前の出来事に端を発します。イスラエルの大祖父、族長アブラハムはへブロンに在るマクぺラの畑地を妻サラを葬るために、ヘテ人エフロンから買い取り、その中に在る洞穴を墓地としたのでした。サラに続き、アブラハム自身、イサク、リベカ、ャコブ、レアもその後同じ場所に葬られることになります。聖書は、「こうしてマムレに面するマクペラにあるエフロンの畑地、すなわちその畑地とその畑地にあるほら穴、それと、畑地の回りの境界線の中にあるどの木も、その町の門にはいって来たすべてのヘテ人たちの目の前で、アブラハムの所有となった。」(創世記23)と、そのことを明確に証言していますが、今日、イスラム教徒たちは、ユダヤ人、クリスチャンがその洞穴に近づかないようにそこにモスクを建て、ヘブロンの所有権を主張しているのです。彼らは、ヘブロンから全ユダヤ人居住者を追放するスローガンを声高らかに訴えていますが、アラブ人、イスラム教徒とヘブロンとの歴史的関連は皆無なのです。さて、ダビデ王の時代、一時的に首都だったヘブロンに比べエルサレムは、イスラエルの首都として三千年の歴史を誇って来ました。アブラハムが、神のご命令に従って、晩年になってサラとの間にようやく恵まれた一人子イサクを、全焼のいけにえにしようと祭壇を築いたモリヤの山の頂上が、まさに現在のエルサレムの『神殿の丘』だと言われています。この場所はまた、ダビデ王が、当時のエルサレムの土着民エブス人アラウナから主のための祭壇を築くために買った打ち場でした。その後その同じ場所に、ダビデの息子ソロモン王が最初のエルサレム神殿を築いたのです。今日そこには、イスラム教の『岩のドーム』が立っていますが、イスラム教徒たちはアブラハムが神に捧げようとしたのはユダヤ人の父祖イサクではなく、アラブ人の父祖イシマエル(アブラハムとエジプト人の女奴隷ハガルとの間に生まれたアブラハムの長子)であったと非聖書的、不合理な主張をし、彼らの記念史跡として祭っているのです。彼らはこの35エーカーに及ぶ歴史的跡地を死守しようと躍起になっていますが、彼らの主張に何ら根拠がないことは明らかです。彼らの経典コーランには一言もエルサレムのことは記されていないのです。聖書では八百回以上も言及されているのとは雲泥の差です。したがって、イスラム教徒にとってエルサレムは聖地でも何でもないのです。それにしても、へブロンのマクペラにせよ、エルサレムの『神殿の丘』にせよ、所有者がアブラハム、ダビデにそれぞれ賜物として無料で提供しようとしたのに、「私は畑地の代価をお払いします。どうか私から受け取ってください」(創世記23:13)、「いいえ、私はどうしても、代金を払って、あなたから買いたいのです。費用もかけずに、私の神、主に、全焼のいけにえをささげたくありません」(サムエル記下24:24)と主張して買い取ったと聖書に明記してあるのは、興味深いことです。今日の所有権争いを見越しての預言的洞察だったのでしょうか。
   今日エルサレムをユダヤ教、キリスト教、イスラム教がそれぞれ聖地とし、主権を主張、加えてPLOが全エルサレムの占拠を主張と、なかなか合意に至らないため、1974年にバチカンが支持した、国際的管轄下に置かれるべきだとする案によって、エルサレムは、イスラエル国の首都でありながら、国連、欧州連合、米国などが仲裁者として関わっている状態が続いています。なるほど、70年のエルサレム神殿崩壊以降、千九百三十年間、エルサレムは異邦人に踏み荒らされていることになります。しかし聖書は、反逆の民イスラエルに対する懲らしめとして神が王国を取り除き、一時的にイスラエルの民を全地に四散させることがあっても、究極的にはアブラハムへの約束の地、すなわち、神がイスラエルの先祖たちのものと定められた地、カナンへ戻すことを、「わたしは、あなたが滞在している地、すなわちカナンの全土を、あなたとあなたの後のあなたの子孫に永遠の所有として与える」(創世記17:8)と、明言しています。世論が、神がご自分の民、土地、都に関して宣言されたことに耳を貸さないで、たとえば、国連事務総長、イスラム諸国会議機構(OIC)のエルサレム委員会の声明に代表されるように、聖地の主権がイスラエルにあることを否定、それどころかイスラエル国家の存在自体をも否定するような意見を堂々と述べ、圧倒的にPLOを支持する方向に傾いているのは遺憾なことです。残念ながら、ローマカトリック教会の大本山、バチカンも、歴代、エルサレムに関する神の約束、預言を無視してきたことが流血で彩られた宗教史に如実に記されているのです。
    西暦一世紀前後のパレスチナはローマ帝国の支配下に置かれ地中海岸沿いにギリシャの植民地もありましたが、ユダヤ人人口が圧倒的多数を占めていました。70年以降、ローマの圧制が厳しくなり、エルサレムはユダヤ人の居住地区に格下げされます。熱心なユダヤ教徒から劇的にキリスト教徒に回心した使徒パウロはじめ、キリストの使徒たちの大伝道によりギリシャ化したローマ帝国支配下のパレスチナに教会勢力は強まり、ユダヤ人教師ラビたちの聖書解釈、教えの中心地はガリラヤ一帯に移ります。三世紀末までにキリスト教がローマ帝国の国教になったことで、ユダヤ人への強制改宗等、迫害が激しくなり、ユダヤ人社会は四散先の外地バビロン等で安住の地を見つけることになります。七世紀にパレスチナはイスラム教徒の支配下に置かれ転換期が訪れます。アラブ人が移民、定着し始め、ユダヤ人は下級市民扱いになります。十字軍が送られることになったのは、そのようなアラブ支配のエルサレムにでした。1096年最初の十字軍を結成し、十字軍に加盟する者には全面的な免罪を賞与すると呼びかけ、十字架の旗を掲げてエルサレムに向けてユダヤ人虐殺の大行軍を敷いたのは、ローマ教皇アーバン二世でした。「イエスの血の復讐をユダヤ人の上に!」というスローガンを掲げ、イエスの名の下に凄まじい流血沙汰を正当化したのでした。イエスご自身の同胞であるユダヤ人撲滅を正当化しようなどとは、言うまでもなく、聖書の教えでは全くあり得ず、曲解に起因する取り返しのつかない悲劇でした。その後、教会がイスラム教勢力に取って代わっただけで、エルサレムはユダヤ人の手に戻ることはなく、十三世紀には、再びイスラム教徒の支配下に置かれます。十六世紀にはトルコのオットーマン大帝が一帯を占拠、四百年に亘る支配が続きます。その間に、1799年にはナポレオンによる侵略、1830年にエジプトによる侵略を受けますが、トルコは、第1次世界大戦で敗北したドイツと同盟を結んでいたため、ついにパレスチナ一帯の権限を、1917年、戦勝した連合国の委託を受けた英国に手渡すことになったのでした。このようにエルサレムは確かに異邦人の手―バビロン、メディヤ・ペルシャ、ギリシャ、エジプト、シリア、ローマ、イスラム勢力、十字軍、トルコ、連合国―を転々と経て今日に至ったのでした。

 

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