ULDAH MINISTRY

LETTER TO THE BROTHERS AND SISTERS IN CHRIST

わたしに問わなかった者たちに、わたしは尋ねられ、わたしを捜さなかった者たちに、見つけられた。

イザヤ65:1

第62号  2000 年 11月 24日


  さあ、さあ。北の国から逃げよ。― 主の御告げ。―天の四方の風のように、わたしがあなたがた(神の民、イスラエル)を散らしたからだ。―主の御告げ。―さあ、シオン(エルサレム)にのがれよ。バビロンの娘とともに住む者よ。主の栄光が、あなたがたを略奪した国々に私を遣わして後、万軍の主はこう仰せられる。『あなたがたに触れる者は、わたしのひとみに触れる者。見よ。わたしは、こぶしを彼らに振り上げる。彼らは自分に仕えた者たちのとりことなる。』と。このとき、あなたがたは、万軍の主が私を遣わされたことを知ろう。シオンの娘よ。喜び歌え。楽しめ。見よ。わたしは来て、あなたのただ中に住む。―主の御告げ。― その日、多くの国が主につき、彼らは私の民となり、わたしはあなたのただ中に住む。あなたは万軍の主が私をあなたに遣わされたことを知ろう。主は、聖なる地(地理的な場所ではなく、主の地上の王座が設けられるところ)で、ユダに割り当て地を分け与え、エルサレムを再び選ばれる。」                   ゼカリヤ2:6〜12  
   中東和平交渉決裂後、パレスチナ解放機構(PLO)とイスラエルの間でただならぬ軍事衝突が続いています。パレスチナ独立の支持を諸国に訴えているPLOは、ヤセル・アラファト議長を党首とするグループですが、その歴史は浅く、1969年にイスラム教のテロリスト機構として結成されたのでした。デイブ・ハントの情報によれば世界中のテロリストを訓練、育ててきたグループで、アラファト議長自身二十歳で最初の殺人を経験したと言います。その恐怖政治はほとんど報道されていないようですが、グループの歴史と言えば、政治的活動というより社会面を賑せて来たと言っても過言でないのです。同時に四機を乗っ取るハイジャックに成功、三百人の人質と交換にルフトハンザ航空から五百万ドル略奪、民間航空四十機、客船五艘、大使館三十余、多くの領事館を巻き込む流血沙汰を引き起こす等々、数多くの残忍、卑劣な犯罪の歴史を築いてきたのでした。ところが、このアラファト議長はベツレヘムで、「私たちのイエス・キリストを共に祝おうではないか」と、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世を聖地巡礼の旅に招き、それに答えた教皇から、おりしも祝福を受けたのでした。「イエスはパレスチナ人の自由のためにイスラエルに対抗して戦われる我らの戦士である!」と非聖書的なことを堂々と言ってはばからない議長が何度もバチカンに招かれ、厚遇を受けているのは不可解なことですが、このテロリストのリーダーがパレスチナ人の権利、公正のため戦う戦士として誉れを受け、ノーベル平和賞まで受けているとは一体どうしたことでしょう。六年前の受賞者選考の過程で、彼の受賞に委員の一人が抗議し辞任するという不穏な一幕もあったことが当時報道されましたが、世論がこぞってアラファト議長、PLO支持に傾いている背景には一体何があるのでしょうか。パレスチナ人の正体を歴史的、聖書的に辿ってみる必要があるようです。
   一言で言えば実に簡単明瞭で、人間史上パレスチナ人、国家、言語、文化、宗教と言ったものが存在した史実は一切ないということです。彼らが政治的に何か権利を主張しているとしたら、それは歴史的な共同体としてのではなく、一個人としての権利と言うことになります。現在彼らが自らの領土として主張して譲らない土地は、パレスチナと呼ばれたのではなく、カナン人が定着していたカナンと呼ばれた地域でした。カナン人は偶像崇拝はじめその悪行のゆえに神によって滅ぼされ、全カナンは神の民の所有地としてイスラエルに与えられたのでした。パレスチナという名称はぺリシテに由来するもので、ぺリシテ人はセム族ではなく、クレタ島、小アジアの一部からカナンに侵略して住み着くようになった人たちでした。今日パレスチナ人と自称している人たちは実際は、出生、言語、文化からアラブ人なのです。彼らは近隣のアラブ諸国からイスラエルの繁栄に惹かれて、やってきたのでした。西暦130年、ローマ帝国が神殿の丘に異教神ジュピターの神殿を築き、エルサレム再建に乗り出しましたが、反抗したユダヤ人の多くが殺され、、あるいは奴隷として国外へ売られという悲劇がありました。この時ユダヤ人たちの根強い反抗に怒ったローマ人たちはイスラエルを「シリア・パレスチナ」と呼んでののしったと言いますが、それ以来、そこに住んでいた者たちはパレスチナ人として知られるようになったのです。第二次世界大戦中英国軍が編成した全ユダヤ人志願者による「パレスチナ部隊」、「パレスチナ交響楽団」、ユダヤ系新聞社の「パレスチナポスト」等は、なぜかユダヤ系であるにもかかわらずパレスチナという名称を用いているようです。
   1948年の中東戦争でイスラエルに敗北し、追放されたアラブ人はこの時以降、自分たちこそ真のパレスチナ人であり、イスラエルが占領している領土はずっと自分たちのもであったと、主張し始めます。実際にはその時点で、パレスチナ一帯に住んでいたアラブ人たちは住民の3%と、ごく少数であったといいますから、彼らの主張が大きく取り上げられるようになった背後には、世界中のメディアの誇張、偏見があることは否定できないようです。1967年6月の六日間中東戦争でのイスラエルの電撃的な勝利により、ガザ地区、ヨルダン川西岸、シリアのゴラン高原、エジプトのシナイ半島、スエズ運河が、新たにイスラエルの占領地に加えられ、分割されていた東エルサレムをも併合しエルサレム全市をイスラエルの首都と宣言したため、近隣諸国との関係、人種問題等、問題は複雑化し、停戦調停失敗からパレスチナ解放闘争が激化し、テロ、弾圧による憎悪の関係、悪循環が続いたのでした。1993年9月13日のオスロ合意で双方の歩み寄りを前提に、1994年5月から五年間の暫定自治期間が設けられ、領土の境界、東エルサレム問題、難民の帰還権等の交渉が始まったのです。しかし交渉は難航、途中で延期もあり、昨年9月に再開された時には、今年の9月までには、すなわち一年以内に決着するという合意がなされたのでしたが、11月も終わろうとしている今日なお、難問は解決されるどころか、むしろ流血騒ぎ続出という不穏な緊張関係が続いている有様です。期限までの決着が無理などころか民衆の間に憎悪が増しているのが現状で、中東紛争は国連、欧州連合、イスラム教国、近隣諸国はじめ多くの国々が関与しているだけに、一つ間違うと第三次世界大戦にも発展しかねない危惧をはらんでいるのです。
   交渉に当たってイスラエルの最大の関心は自国の安全保障です。オスロ合意がイスラエルに求めている新境界の設定を含む妥協案は、死の雨を降らせイスラエルを一瞬の内に壊滅させ、領土を奪おうとチャンスを窺っているイスラム諸国に、攻撃上の利点を提供することになるため、イスラエルは決断をあぐねているようです。すなわち、もしこの妥協案に調印すれば、イスラエルの人口の70%、産業の80%が集中し、主要軍事施設があり、イスラエル唯一の国際空港を有する要衝地に、致命的な打撃を与えることのできるロケット兵器を至近距離で発射することを可能ならしめることになるのです。このように和平交渉が進まない理由は明らかですが、和平交渉の最中にも周辺で民衆、テロリストたちの暴力行為、不穏な動きが増加していることから、たとい形式上の調印に漕ぎ着けたとしても、相互の憎しみ、自己中心な姿勢が各個人の内面において解決されない限り、真の平和が訪れることはないでしょう。
   冒頭に引用したゼカリヤ書はじめ多くの旧約の預言者が異口同音に語っていることは、究極的には神ご自身がイスラエルを救われるということですが、その前に、イスラエルが諸国との大戦争に巻き込まれることも聖書は語っています。平和交渉が決裂し、民の憎悪が頂点に達したとき、危ぶまれている戦争が勃発し、ハルマゲドンへの戦い、人間史上最後の戦いへと発展して行くと解釈している聖書学者はたくさんいます。自己中心な人間同士の交渉では表面的にはどんなに平和裏に進められても所詮解決できない多くの要素を含んでいるだけに、結局は、上からの助け、人間と神との間に立たれる唯一の仲介者であられる方、イエス・キリストの御介入によって終止符が打たれるということでしょう。「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。...このことは、二つのものを自身において新しいひとりの人に造り上げて平和を実現するためであり、また両者は一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。...私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。こいうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。...このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」(エペソ人2:14〜22)。このように、今全人類が求めている永久の平和の確約がキリストにあることを、使徒パウロは語っています。イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒、その他の神々を信じている人たち、アラブ人、ユダヤ人、全人類がイエス・キリストを受け入れ、主、救い主と仰ぐとき、国家間、人種間の隔ての壁、敵意は完全に取り除かれ、真の平和が地上に実現することになるのです。今年は世界的に自然、国家、政治、社会、経済、家庭、人間関係のすべての領域において、かつてない揺さぶり、混乱、無力さを経験した年でした。過去の経験、方式、方策がもはや通用しない時代の到来を意識された方々は少なくないでしょう。来たる年がもたらすものは災いでしょうか、
祝福でしょうか。声を一にして真の光の到来を待ち望みたいものです。


暗闇から光を切望する時節がまた巡ってきました。世の光、イエス・キリストは、
人類の救いのため手を差し伸べておられます。主、イエスを受け入れ、
信仰、希望、愛が、皆様の心に灯される時節となりますようお祈りいたします

 

目次