ULDAH MINISTRY

LETTER TO THE BROTHERS AND SISTERS IN CHRIST

わたしに問わなかった者たちに、わたしは尋ねられ、わたしを捜さなかった者たちに、見つけられた。

イザヤ65:1

第65号  2001 年2月 23日


  今月と来月号では、旧約聖書のルツ記から学んでみたいと思います。絶対基準である神の掟が忘れ去られ、「めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた」時代(士師記21:25)に在って、ルツ記は信仰、愛、慰み、安らぎ、希望を語っている特異な範疇に位置付けられる書です。
   霊的にも道徳的にもイスラエルが堕落していた、君主制が導入される前の士師が世を治めていた時代、ユダの地に飢饉が起こったため、ユダのベツレヘムの人エリメレクは、妻のナオミと二人の息子を連れて異邦人の地モアブへ移住しました。夫に先立たれたナオミは外地で二人の息子を育て、二人はそれぞれモアブの女と結婚、十年の時が流れます。しかし不幸に不幸が重なり、二人の息子にも先立たれたナオミはユダの地が飢饉から立ち直ったと聞き、祖国に帰る決心をします。先行きを考えると一人で生活して行く自信はないものの、しかし年若い二人の異邦人の嫁を道連れにするのは忍びなく、ナオミは二人には夫を見つけ新しい人生を歩むようにと励まし、郷里に帰るよう勧めます。弟嫁オルパはナオミの勧めを受け入れ郷里に帰りますが、堅く決意した兄嫁ルツは、「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まわれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」(1:16)と、ナオミに従ってベツレヘムへ向かったのでした。
   時は春、大麦の刈り入れ時で、イスラエルの宗教暦では、春の三大祭り、「過越の祭り」、「種入れぬパンの祭り」、「初穂の祭り」の始まる時節でした。エリメレクの相続地はあっても、収穫する穀物がなく、働き人のいないナオミとルツの生計の道は、他人の畑に刈り残された落穂に頼る以外なく、状況を察したルツは自発的に落穂拾いに出かけ、骨身を惜しまず働きます。図らずもその畑は、「買戻しの権利のある」ナオミの夫の親戚で有力者のボアズの所有地で、周りの者たちにその働き振りを認められたルツは、「娘さん。よく聞きなさい。ほかの畑に落ち穂を拾いに行ったり、ここから出て行ったりしては行けません。私のところの若い女たちのそばを離れないで、ここにいなさい。刈り取っている畑を見つけて、あとについて行きなさい。私は若者たちに、あなたのじゃまをしてはならないと、きつく命じておきました。のどが乾いたら、水がめのところへ行って、若者たちの汲んだのを飲みなさい。」(2:8〜9)と、ボアズの好意を得ることになります。「私が外国人であるのを知りながら、どうして親切にしてくださるのですか。」と問うルツにボアズは、「あなたの夫がなくなってから、あなたがしゅうとめにしたこと、それにあなたの父母や生まれた国を離れて、これまで知らなかった民のところに来たことについて、私はすっかり話を聞いています。主があなたのしたことに報いてくださるように。また、あなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。」(2:10〜14)と励まし、働き人たちの間で食事をすることも許したのでした。さらに監督をしていた若者たちには、「あの女には束の間でも穂を拾い集めさせなさい。あの女に恥ずかしい思いをさせてはならない。それだけでなく、あの女のために、束からわざと穂を抜き落としておいて、拾い集めさせなさい。あの女をしかってはいけない。」(2:15〜16)と、特別の計らいを言い含め、ルツの労働の成果を陰ながら援助します。
   このようにして最初の落ち穂拾いで大きな収穫と祝福を受け、持ち帰ったルツに、ナオミはボアズの深い愛と意向を察知し、大麦、小麦のすべての刈り入れが終わるまでボアズの畑に留まり、働くことを勧めます。さて、『打ち場での大麦のふるい分け』(3:2) の日が来たとき、ナオミはルツに、「からだを洗って、油を塗り、晴れ着をまとい、打ち場に下って行きなさい。...あの方が寝るとき、その寝る所を見届けてからはいって行き、その足のところをまくって、そこに寝なさい。あの方はあなたのすべきことを教えてくれましょう。」(3:3〜4)と、イスラエルの慣習ではあたかも花嫁が振舞うような行為をすることを指示します。「私におっしゃることはみないたします。」(3:5)と答えたルツは、すべてナオミに教えられたように実行に移します。夜中、人の気配にびっくりしたボアズに対しルツは、「私はあなたのはしためルツです。あなたのおおいを広げて、このはしためをおおってください。あなたは買戻しの権利のある親類ですから。」(3:9)と、イスラエルの掟、『兄弟が死んだとき、死んだ者の妻を夫の兄弟がめとり、夫の兄弟としての義務を果たさなければならない。そして彼女が産む初めの男の子に、死んだ兄弟の名を継がせ、その名がイスラエルから消し去られないようにしなければならない。』に準じて、エリメレクの畑と同時に自分をも買い取って、エリメレクの名を残してくれるよう頼みます。すでにルツへの特別な配慮を通して意志表示をしていたボアズは、「娘さん。主があなたを祝福されるように。あなたのあとからの真実は、先の真実にまさっています。あなたは貧しい者でも、富む者でも、若い男たちのあとを追わなかったからです。さあ、娘さん。恐れてはいけません。あなたの望むことはみな、してあげましょう。この町の人々はみな、あなたがしっかりした女であることを知っているからです。...しかし、私よりももっと近い買い戻しの権利のある親類がおります。今晩はここで過ごしなさい。朝になって、もしその人があなたに親類の役目を果たすなら、けっこうです。しかし、もしその人があなたに親類の役目を果たすことを喜ばないなら、私があなたを買い戻します。主は生きておられる。とにかく、朝までおやすみなさい。」(3:10〜13)と、ルツの申し入れを快く受け入れたのでした。翌日、法的にボアズに優先してエリメレクの畑と死んだ者の妻とを買い戻す権利のある親類の者が、買い戻しによって一世帯を増やすことは自分自身の相続地をも失う脅威になるという口実で断わったことにより、買い戻しの権利はボアズのものになったのでした。
  このようにして、モアブ人ルツはイスラエル人ボアズの妻となり、男の子オベデが与えられ、オベデからエッサイが、エッサイからダビデが生まれ、図らずもダビデ王の曾祖母となったのです。しかも、このダビデの血筋から約束の救い主、イエス・キリストがお生まれになったのです。イスラエルの神を自分の神として、また、夫の民を自分の民として受け入れ、夫に先立たれるという逆境にあってもむしろ、失意のどん底に在ったしゅうとめを助け、若者の世界にうつつを抜かすことなく、勤労を厭わず忠実に仕え、ついには救い主の系図に与かる女性となったルツの生涯が、ルツ記に美しく描かれているのです。目に見えぬ主を畏れ、主を第一とする生活態度が、現実を肯定的に受け留め、自我を否定し、しゅうとめへの献身として現れたルツの生き様に、娘に、「ルツ」と命名するユダヤ教徒、キリスト教徒のみならず、共感を覚える者は多いのです。このルツ記は、ぎすぎすしたこの世の人間関係に、ルツ、ナオミに見られる美しい嫁―しゅうとめの関係と、一家の大黒柱を失った社会の弱者、二人のやもめに対するボアズの報いを望まない一方的な愛の配慮を通して、安らぎを与えてくれる訓話としてもそれ自体十分価値のある書ですが、神学的にも驚くべき深い洞察の下に記された書なのです。
  まず、「贖い主ボアズ」と「異邦人の妻ルツ」というテーマには、『後世に現実のこととなる来るべき人類の贖い主なる神の御子、イエス・キリスト』と『その花嫁、異邦人から成るキリストに従う者の群れ、教会』との関係の伏線が張られており、このテーマに関する説教はキリスト教会でも好んで教壇で取り上げられて来たのでした。外地で、絶望と、霊的、肉的にも実りのなさ、空しさを味わったナオミとルツのベツレヘムへの帰還が、希望、満たし、実りを象徴する春の大麦の刈り入れ時であったということは、天の御父のタイミングを察知されたイエスが、「過越の祭り」が始まる数日前に十字架上で死刑に処されるためにエルサレムに入場されたのと同様、単なる偶然ではないのです。歴史を支配しておられる神の明らかな思惟が背後にあるのです。実際救い主による贖いと、信じ従う者への罪からの解放、救いの確約というテーマは、イスラエルの七大祭典にすでに反映されていたもので、そのうちの最初の「過越の祭り」は、隷属下の絶望の中で主を求め、依り頼んだイスラエルに答えて、外地エジプトから民を贖い出し、約束の地カナンへ導いて下さった主への感謝を、後世忘れることなく思い出し、祝うものでした。続く「種入れぬパンの祭り」では、エジプトから荒野への旅立ちが急であったためイーストを入れて発酵させている暇なく焼かれたパンを食べ、携えて出立した史実に因んで、イーストを入れないパンで祝うことに、エジプトでの過去の暗黒の生活からの絶縁が象徴されたのでした。さらに、「初穂の祭り」の時には、大麦の初穂の束を主に向かって揺り動かすという象徴的な行為(神道の神主が榊を揺り動かすのに類似)がなされましたが、これは後に控えている大麦、小麦のすべての収穫が保証(キリスト教徒にとっては復活の保証)されますようにという祈りであり、主への礼拝でした。その後、五十日を経て、小麦の収穫の始まる「ペンテコステの祭り」で、収穫の確証が得られることになるのです。この時期のルツの足取りを辿ってみますと、祖国モアブでの過去の生活、習慣、自らの民、家族との絶縁、神に従う決意、約束の地で、ボアズの好意を得て、大麦の束の間での落ち穂拾いが許され、生計の保証が与えられと、まさにルツの一連の行動に象徴されたのは、この最初の三つの祭りに象徴されていたもの、贖い、解放、救いの保証だったのです。  

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   This month a money gift has been sent to FREDERIC to support his ministry in Kenya. Looking to his future missionary works in his own country Burundi, he has a desire to be qualified as a MA scholar in theology in Nairobi. Pray for the Lord's clear guidance for his future and his present ministry to the refugees. His visit to Israel as a Burundian representative for a peace conference with other nations planned for the end of last December was cancelled due to the political uneasiness and clashes between the Jews and Palestinians. However, it has just been postponed to March and is still expected to produce fruitful resolutions for all the nations. Pray for the Lord's wisdom upon all the delegates.


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