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2010年3月15~18日
“デュマガット部族のデモ行進”に参加して
デュマガット部族の土地にかかわる簡単な歴史的背景を説明しましょう。
2004年12月、私はデュマガット部族の酋長、アルバート
ラモスからシティオ カラヒューム
ブルカンにある彼らの先祖代々の土地が横領されているということを
聞きました(その土地の近く
に私たちの伝道所があります)。 彼らは、2001~2002年にかけて(当時の大統領)アロヨ
氏に、そ
の土地返還を要求する
決起集会を何度となく開催しました。 2002年12月、アロヨ大統領は彼らに、その土地が彼らの先祖の所有であるとの大統領の 署名付き証明書を発行しました。しかし、2003年に、デュマガット部族の役人が登記所に、 その土地の所有権がきちんと(デュマガット部族の所有として)登記されているかどうかを チェックしたところ、登記されていなかったばかりか、マニュエル ビリヤール上院議員が、 その土地をフィリピン中央銀行に抵当として入れていたことが判明したのです。 |
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2004年
にはビリヤールの私的護衛が、そこに、(今後)い
かなる家屋も建設してはならないとして、その土地を隔離しました。 2005年、 私はその地域で聖書クラスを始めたのですが、カラヒューム入植者と農民が、ビリヤールの武装護衛に対し暴動を起こしたのを 見ました。 2006年 の暴動の際には、2人の武装護衛と1人の農民が殺害されました。 同年3月、約三十人のビリヤールの重武装護衛がアルバート酋長(黒いズボンをはいて座っている。下の写真参照)と その息子三人を 縛り、彼らの家を略奪し、 鶏、卵、米を奪いました。 そればかりか、重武装護衛は アルバート酋長たちを反逆者として訴えたのです。 このようなわけで2004年以来、アルバート首長たちは、数々の死の恐怖を味わってきました。 2007~2009年には、束の間の平和がありました。しかし2009年12月の時点で、(2010年5月10日 の)大統領選出馬のビリヤール上院議員が有力視され、もしビリヤールが勝つことに なれば、デュマガット部族は、彼らの先祖代々の土地を失うことになる危機にひんしたのです。 |
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![]() デュマガット部族の酋長、アルバート ラモスとその夫人―― 上写真 デュマガット部族の人々とカラヒュームに住む農民たちは、クリスチャンで過去同じようなケースの裁判で戦い、勝訴した経験がある ニエベス テクソン女史に助けを求めました。 それ以来、彼女と彼女の弁護士たちは、先祖代々の土地を切望するデュマガット部族の人たちを助け、支援してきました。 このような状況下で、私たちは 三日三晩、ブルカンから、苦情処理官邸、ケソンシティーのテレビ局、中央銀行までデモ行進しました。 ビリヤール上院議員の邸宅で は、彼は私たちに顔を見せず、私たちが見たのは警備員だけでした。 まさに私たちは大きな象と戦っ
ている蟻のような感じでした。 私は、料理を手伝い、7kgのバナナを差し入れました。 |
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三 晩、彼らはケソンシティーにある 農 業管轄の役所の 屋 根のある中庭で寝ました。 垂 れ幕には、 「ビ リヤール、お願いだから 私 たちの土地を返してください!」 と 書 いてあります(左写真) |
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私は灼熱の太陽が照りつける中、長時間歩いて彼らと一緒にデモ行進するという苦痛を経験しました。しかし、途中でやめることは 私にはできませんでした。なぜなら、その行進に参加したデュマガット部族の人々の多くは、年配者で、私たちの聖書クラスに 参加している人たちだからです。 仲間の牧師たちは私に「なぜ行進に 参加したのか?」と尋ねました。私は答えました。 「なぜって? デュマガット部族の人たちは私の聖書クラスの人たちで、彼らは先祖代々の土地の所有を決してあきらめず、 正統的に戦っている人たちだから」と。 |
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注: 五月十日に行なわれたフィリピンの大統領選挙(総選挙)では、初めて電子投票システムが導入され、 開票結果は時間を待たずにインターネットで確認することができるようになりました。 アキノ氏の当選で期待されるのは、腐敗、汚職政治からの解放、国家の復旧です。 メアリー・ジェーンがデュマガット部族との問題で挙げているビリヤール上院議員は、この選挙で 三位でした。 |
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