「地蔵と閻魔は一(い
つ)」という言葉が記憶に
残っている。
両方とも阿弥陀
如来(あみだにょらい)の化身(けしん)である
罪人の身代わりに地獄で焼かれて下さる「地蔵(慈悲、憐れみ)」と
死後に各々の行いに基づいて裁きを下す「閻魔(裁き主、憤怒)」は、
私、―日本で敬
虔な仏教徒の家庭に育ち、
英国でイエス様を私を罪から解放してくださった「救い主」として受け入れた―
には、新たな洞察で迫って来た。
地蔵と閻魔に象徴されていることが、
「万人の罪を担って死なれた」福音書のイエス様と
「裁き主として、地上に再び戻られること、―再臨―を約束された」
黙示録のイエス様が、私たちの救いのために成し遂げてくださったことに
酷似しているという発見は驚嘆であった。
日本にも古代の昔から、福音がこのような形で根づいていたと
は!
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