私の話しを聞いてください!

      ――イスラム教徒として私はますます急進的になっていました。

      私の人生はもっともっと急進的なものへとエスカレートしていくかのようでした。

      あの体験をするまでは――

      ――あれは……祈っているときにおこったのです。

      それは、イエス・キリストについての考え方を180度変えなければならない、

      予想だにしなかった体験でした!――

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  私はアフリカで生まれ、シャリーア(イスラム教の律法)に従うイスラム教徒として育ちました。
  私の父はイスラム教の聖職者でした。私は自分の宗教を好んでいましたし、神を愛していました。
  私は貧しい人々に施し、1日に5回、祈っていました。それはイスラム教の教えからというだけではなく、
  私の心が神へ祈りをささげ、神が喜んでくださるように、そして神を礼拝することを切望していたからでした。 

  私は17歳までに、コーランを暗記していました。それは集団礼拝の指導者になるためと祈りを主導するために
  必要なことでした。コーランは、神が人類のために選んだ唯一の宗教はイスラム教であると教えています。
  ですから、人はイスラム教徒でなければ迷うことになり、この神、アラーを知り、服従することが必要であると
  私は確信して、改宗者獲得のために指導者になるべくスタートしたのです。

  私はいくつかの成功をおさめました。しかし同時に私は、次第に、より急進的になっていったのです。
  私は西洋がイスラム教徒、特にイスラエルにいるパレスチナ人を不当に扱っていることに対して快く思っていませんでした。  あたかも西洋はイスラム教を滅ぼそうとしているようでした。イスラム教徒はお互いに兄弟であり、
  だれかが一人のイスラム教徒を攻撃したなら、それは全イスラム教徒を攻撃したとみなされるのです。
  私は兄弟を守るためにいつでも戦う準備をしていました。 

  あるとき私は特別な会合に出席しました。そこでは、ある人が世界中のイスラム教徒に対する不公平について
  語りました。それを聞いて私はどこでも、いかなる犠牲を払ってもイスラム教徒を守ろうと思いました。
  私は死を恐れませんでした。なぜなら、私は神を愛し、神のゆえにどんなことでもしようと思っていたからです。

  イスラム教は攻撃されなければ平和の宗教です。しかし攻撃されれば、それは戦うことも教えるのです。
  たとえば、もしある人が公衆の中で、聖書を持って行動するにせよ、話をするにせよ、キリスト教を伝道するなら、
  それはイスラム教に対する攻撃とみなされます。イスラム教徒はその攻撃に対して抵抗することを義務と考え、
  そのためには手段を選びません。必要があればその人を牢獄に入れたり、死刑を宣告したりすることもあります。

  私は殉教者としていつでも死ぬ覚悟ができていました。事実、イスラム教徒は殉教を最高の死と考えます。
  殉教者として死ぬことで、ジャンナ(天国)で最高の栄誉を受けるのです。なぜなら、他のイスラム教徒の兄弟を救ったから  と考えられるからです。ムハンマドが語った言葉を集めたハディスのなかに次のような箇所があります。

  ――1人のイスラム教徒は10人の非イスラム教徒と同じ価値があり、
    したがって私(ムハンマド)のためにイスラム教徒の兄弟を守ることは選択ではなく、義務であり、
    アラーに対する私(ムハンマド)の愛の表現である――

     私の生活はますます急進的になる一方でした。しかし……

    それはある金曜日の出来事でした。その日、私はモスクでの金曜日の祈りのリーダーで、どうしてヨセフが
  彼のお兄さんたちに裏切られたかの説教をしました。礼拝を終え人々がモスクを去ったあとも、私は個人的な祈りを
  していました。そのとき、ふと、私はだれかの声を聞いたように思いました。

  ――「わたしはキリストです。わたしに従ってきなさい。」――

    だれ? 私は見上げました。でも私に話しかけた人はだれもいません。私はショックを受け、怖い感じさえ
  しました。私は宗教を経典、すなわち、コーランから学んでいました。私は、コーラン以外で私に話しかけるものは
  サタン(悪魔)であると教えられてきたのです。もしこれがサタンの誘惑であるなら…、と私は思い、私は清くないので、
  すぐに自分の体を洗い、神にサタンの誘惑をやめてくれるようにと、祈りました。

  しかし、また、同じ声が私に話しかけたのです!

  ――「わたしはキリストです。わたしに従ってきなさい。」――

 私たちは、真理に逆らっては何をすることもできず、

真理のためなら、何でもできるのです。

コリント人第二13:8

  恐ろしくなった私はモスクを飛び出し、近くの教会に駆け込んでいました。それは非常な恐れでした。
  本当に死ぬのではないかと思ったほどの恐怖でした。ほとんど話すことも出来ませんでした。

  その教会には数人の人々がいました。落ち着きを取り戻すのにどれくらい時間が経ったでしょう。
  やっとのことで私は、教会の人たちに、どのようにしてクリスチャンになったのかを尋ねました。(このときまで、
  私は、どうしたらクリスチャンになれるかを全く知らなかったのです。)彼らは私と共に祈ってくれました。
  そしてその日、私はクリスチャンになったのです。

  その日までは、イエスは私にとって一人の預言者、奇蹟を行った一人の人間でした。私はコーランが語る
  ように、「イエスは十字架につけられなかった。イエスによく似ただれかが十字架で死んだ」ということを信じていた
  のです。

    地元の新聞は「イスラムのリーダー、キリスト教に改宗!クリスチャンに!」という記事を載せ、テレビでも
  ニュースになりました。私は逃げも隠れもできず、かといって、改宗のことを話すために家族のもとに帰ることも
  できませんでした。私は家族を非常に恐れていました。家族の者たちは私がクリスチャンになったことをすでに
  知っていました。でも、もし家族以外のだれかが私を見つけたなら、彼らはすぐに私を殺したことでしょう。

  私は家族に電話をかけました。彼らの悲しみようは大変なものでした。彼らはイスラム教の教師を私のところに送り、
  私を説得しようと試みました。彼は私がサタンにだまされていると言いました。しかし、私は彼に次のように答えました。

  ――「その声はモスクの中で私に話しかけたのです。ムハンマドの言葉が集められたハディスには、
     サタンはモスクの外にとどまり、イスラム教徒がモスクから出てくるのを待ち受けているが、
     コーランを暗記している人にはとりつかないということが書かれているではありませんか。
     私は、神に、サタンが話しかけるのをやめるように祈りました。
     しかしその声はまたもや話しかけてきたのです。このことは、それはもはやサタンの声ではないか、
     あるいは、サタンから私を救って下さい!との私の祈りを神が聞いて下さらなかったかのどちらかです。」――

  私がこのように語るのを聞いた後、その教師は私に、イスラム教に戻るか、それとも迫害に会うかのどちらかだ、
  と言いました。それに対して私は、永遠の命を与える神にさからうよりは人間にさからったほうがいいと答えたのです。


                                                      

ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、

死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。

ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。

また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、

私たちはこの神に置いているのです。

コリント人第二1910
 

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  イスラム教では背信は一番大きな罪です。二番目の罪は殺人です。シャリーア(イスラム教の律法)のもとでは、
  私がキリスト教を棄てなければ、死刑が宣告されます。ですからイスラム教徒の前では、私は自分がかつてイスラム教徒

であったと告白することはできないのです。

  私はかつてイスラム教徒として、いつも喜んで死ぬ覚悟ができていました。しかし今、私はクリスチャンとして、
  以前よりはるかに神のことを知っています。そのことを本当に神に感謝します。

  イスラム教とキリスト教との間には多くの類似性があります。しかし私にとって最も大きな違いは神の愛です。

  イスラム教では神は慈悲深く、親切です。しかし愛ではありません。キリスト教において、神は愛です。愛の神は、
  世界の罪のためイエスをこの世に送られ死なせたのです。イスラム教はイスラム教徒だけを愛することを教えます。
  キリスト教では神はすべての人を平等に愛します。

神は、実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。

それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、

永遠のいのちを持つためである。

神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、

御子によって世が救われるためである

ヨハネ3:16−17

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  私は神が私を愛して下さっていることを知っています。ですから私は私の信仰を皆さんに分かちたいのです。
  私はイスラム教について多くのイスラム教徒よりも知識があります。ですから今、私はイスラム教徒たちに、
  クリスチャンであるとはどのようなことなのかを語っています。私は、イスラム教の人たちが、もっと神を知るように
  なることを祈ります。

  

   ―英国の専門紙「The War Cry2007714日の記事から抜粋−
       イスラム世界で昨今、イエス・キリストの直接啓示によって、キリストを受け入れるイスラム教徒が増えている。
      西暦一世紀の初代教会に頻繁に起こったことで、この世の宗教の枠を超えて、真理を求める者たちに、
        神がご自身を顕わしておられるのだ。
        政治、経済、宗教、道徳、すべての人間組織、規律の破たんが加速している今世紀、
        聖書が明確に預言している「キリストの再臨」のときが非常に近いことを思わされる。 
   

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