1.天地創造

あなた方は知らないのか。聞かないのか。
初めから、告げられなかったのか。神のもとい基がどうしておかれたかを悟らなかったのか。〜〜〜主は永遠の神、地の果てまで創造された方。
わたし、主こそ初めであり、また終わりとともにある。わたしがそれだ。

と、聖書は、神ご自身が宇宙の基であられることを語っています。

 現代科学は、宇宙が、ビッグバン特異点から生まれ、膨張し、やがて再び、特異点の火の玉に戻ることを有力視するようになってきていますが、これは、創造者である神が、無から火の玉のビッグバンを引き起こされ、ついには宇宙が、大きな白い(みざ)御座におられる方の前(宇宙の一点)から逃げ去り、火によって消え失せると告げている聖書を裏づけているのです。
                                  
 私達には、神の存在を「証明する」ことは出来ないかも知れません。が、奇しく、恐ろしいほどに設計された神の創造、被造物を見るとき、これらが偶然に存在するようになったのではなく、設計された方、秩序を保っておられる方がその背後に存在しておられることを否定することは出来ないのです。


われわれに似るように、われわれのかたちに人を造ろう
と意図された神は、
土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。


とあるように、人間は、動物とは全く異なり、「人格」を備え、神との関係を正しく持つことの出来る被造物として、「男」、「女」の順で、はっきりと区別されて造られました。男女が、価値、地位において平等に造られたことは、新約聖書に記されているイエスの女性に対する態度から明らかですが、男にはリーダーシップをとる責任が課され、女には助け手として男に服従すること、お互いに、愛の心で補い合うことが意図されたのです。この創造の秩序には、三位一体の神に、本質、力、栄光においては同等であるにもかかわらず、父、子、聖霊、という順序があり、存在の在り方が異なっているという神の奥義が反映されているのかも知れません。

 エデンの園には、聖霊を象徴するいのちの木と、神のことば、イエスを象徴する知識の木とがありました。しかし、聖書の最後の書では、神が、イエスと同じ復活の体を与えられた人々と住まわれるようになる新しい神の都、エルサレムでは、知識の木は消え、永遠の命を与えるいのちの木だけ意味ありげに残るのです。イエス・キリストにおける、永遠の神の国の完成が、聖書の一貫したテーマであり、
わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。
と言明される神の、人類のための贖いの歴史が、神の選びの民、イスラエルを通して語られていくのです。

 

 

 

神の約束