10.イエス・キリストの死、埋葬、甦り

神は罪を憎まれます。が、他方で、罪人(つみびと)を愛し赦(ゆる)そうとされるのも神です。神の掟(おきて)が罪人に霊と肉とのを宣告しているのに、この死を免れることができるとしたら、神ご自身が与えてくださる解決以外に方法がないことは明らかです。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、
世を愛された。
それは御子を信じる者が、
ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである

と記されているように、
天地創造の前から神とともにおられ、創造に携(たずさ)わられた、完全な神であるイエス・キリストが、また完全な人間として、この世の罪を負うために、来てくださったのです。

 聖書のすべての教えの中心は、イエスの死、埋葬、甦りに置かれています。旧約時代の聖者たちは、この世に救い主(ユダヤ人の王、メシア)が来ることを待ち望んできましたし、新約時代に生き、すでに主の御許(みもと)に召されたクリスチャンたちも、また今日生きているクリスチャンたちも、人類の救いのために主イエス・キリストが十字架上で達成してくださったことにいつも立ち帰り、信仰を持ち続けてきました。

信じない者にとっては、不愉快で、
ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚か(な)
キリストの十字架が、
クリスチャンにとっては、なぜ神の力なのでしょう?
イエスが、十字架上で死ななければならなかった背景には、主に次の三つの要因がありました。


 (1)悪を見逃されることのない聖なる神の罪に対する怒りをなだめるに    は、神の愛、憐れみによる以外に方法がないということ
 (2)旧約時代、動物の血によって人間の罪の贖(あがな)いが行なわれて    いましたが、無傷、欠損のない動物犠牲による贖いにも、故意で    はない罪だけを贖うという限界があったということ
  (3)すべては、神のご計画のもとで、神がイニシアティブを取られてなさ     れたと同時に、イエスが人間の罪を担う神の小羊として、進んで     神のみむね御旨に従い、へブル語聖書の預言を成就してくださ     ったということ イエスは、極悪人(ごくあくにん)として十字架に処      刑されるという一見敗北とも思えるような屈辱的な死からよみが     え甦られることにより、イエスを信じる者に勝利をもたらしてくださっ     たのです。イエスは、すべての人間(罪人(つみびと))を罪から、     また律法の力から解放してくださっただけでなく、


神は、十字架において、
すべての支配と権威の武装を解除して、さらしものとし、
彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました

とあるように、
人間を虜(とりこ9にしていた悪の力からも解放してくださったのです。

したがって、今、イエス・キリストを信じる者は、キリストによって神と和解させられたのであり、神との正しい関係に戻されたことによって、神の怒り、罪、律法、そして、死から完全に解放されたのです。旧約の動物犠牲では達成することができなかった罪人の救いを、イエスはただ一度、ご自身を犠牲として捧げることにより達成してくださったのです。
  これが滅びに至るしかなかった罪人にとって『福音』(良い知らせ)でないとしたら、何が福音でしょう? クリスチャンが、イエス・キリストを仰ぎ見るのは、イエスこそ唯一、真(まこと)の救い主だからです。

神の国