11.信じるとは?
−悔い改め、信仰告白、 水と聖霊とによるバプテスマ−

私たちは、イエスが十字架上で死なれ、葬られ、甦られ、悪の力を完全に克服してくださったことにより、信じる者には、「永遠の命」が与えられること、また、小羊のいのちの書に名が記されることにより、神の裁きから免れることができることを学んできました。

さて、この福音が、あなた自身の問題として、
関わってきたでしょうか?


「イエス・キリストを信ずる信仰によって救われる」という『福音』を聞き、自分も救われたいと思うあなたが次に踏むステップは、あなた自身のを悔い改めて、主イエス・キリストを、天の父なる神(ヤーウエ)が人類救済のため地上に送られた御子(みこ)、油注がれたユダヤ人の王「救い主」として受け入れ、「水と聖霊とによるバプテスマ(洗礼)」を受けることです。


それでは、悔い改めるとはどういうことでしょうか?


神のみまえ御前に自分の犯した罪を告白し、過去(無意識のうちに、あるいは、意図的に)神を無視し、神の御旨(みむね)に反逆してきた自らの態度を改め、人生の百八十度の方向転換をすることです。過去の罪深い自分とは縁を切り、完全に心を入れ替えて、神を喜ばせる道を歩む決意をすることです。真(まこと)の悔い改めには、当然、悔い改めに相応(ふさわ)しい行ないが伴われます。

次に、イエス・キリストを信じるとは
イエスを私たち(人間ひとりひとり)の罪のために死んでくださった生ける神の御子キリストとして、受け入れることです。これは、イエスが世界宗教、偶像神の温床地で弟子たちに、ご自分をだれだと思っているのかと尋ねられたとき、弟子シモン・ペテロが信仰表明した言葉でした。
イエスご自身、
わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
私を通してでなければ、
だれひとり父のみもとに来ることはありません

と言明されたように、
キリストのみが救いに至る唯一の道であることを信じ、自らを主の御手(みて)に完全に委ねていくことです。罪深い自分に神に対して何もできないことが分かっているので、神の御手に自らを任せるのです。

あなたは章を追ってここまで読み進んでこられました。
すでに心の中に
二千年前ガリラヤ地方に住まわれたナザレ人イエスを
あなたの救い主として受け入れ始めたでしょうか?

聖書は、
あなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で
神はイエスを死人の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、
あなたは救われる、

また、
主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる
と語っていますが、信じた今、口で告白することが大切です。
ヘブル人への手紙の著者は、
今日、もし御声を聞くならば...心をかたくなにしてはならない
と、今日聖書を読んでいる私たちにも決意を迫っています。
決断の時は、今です。

  最後のステップは、イエスの名による全身浸水礼(水のバプテスマ、洗礼)と、天からの浸礼(聖霊によるバプテスマ)とを受けることです。それによって、あなたはキリストの証し人、クリスチャンとしてのスタート台に立つことになります。
「聖霊によるバプテスマ」はイエスの場合、祈っておられると御霊(みたま)が下ったと記されているように「水のバプテスマ」に引き続いて起こることが多いのですが、時を経て授かることも、あるいは、水のバプテスマに先立って授かることもあります。いずれにせよ、水のバプテスマと同様、本人にも周りの人たちにもそれとわかる体験、現象であることを聖書は明確にしています。
  バプテスマにより、主イエスとの個人的な関係のもとい基と、永遠の救いの基が築かれたことになり、クリスチャンとしての信仰の歩みはここから始まるのです。それでは、最後の章で、聖書の語る救いについて学ぶことにしましょう。

神の国