4.聖 霊

神は、ご計画を契約、預言を通して、徐々にあら顕わしてこられましたが、生きた「神の言葉」であるイエス・キリストこそ、神の約束の完成であり、最後の啓示でした。

初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。
ことばは神であった


で始まるヨハネの福音書の中で、十二弟子の一人ヨハネが、
この方はご自分の国に来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった
と記しているように、へブル語聖書の全約束が文字通り成就されることを待ち臨んでいたユダヤ人たちは、惨めな罪人として十字架上で死を遂げられたイエスを、預言の成就として受け入れることが出来なかったのです。

新約の時代に生き、歴史を異なった視点から見ている私たちと違って、旧約の預言者たちは、キリストの初臨(ご降誕)と再臨との間に、長いギャップの期間(今日の教会の時代、異邦人に福音が宣べ伝えられる時代)があることを知るよし由もなかったので、キリスト(救い主)の二回の来臨を一回の来臨の出来事として預言したのでした。正確には、人間史においては二回から数回に分けて起こる類似した出来事を一つの出来事であるかのように語られるという、神の預言の与えられ方の性質上生ずる止むを得ない矛盾、混乱でした。神の言葉を正確に伝えるしょうめい召名を帯びていた預言者たちは、神が示されたとおりに「苦難のしもべ」であると同時に「勝利の王」であるメシア像を民に伝えたのでした。
神の預言を先取りして未来占いに悪用し、ひともう儲けしようとするのは人間だけでなく、自分の命がかかっているサタンも必死になって預言の解読を試みているでしょうから、神がそのような一筋縄ではいかない預言の語り方をされたのは当然なのです。したがって、預言を受けたユダヤ人たちも、「苦難のしもべ」の預言の部分はすっかり忘れ、彼らのメシアは政治的にも霊的にも「勝利の王」としてご降誕され、この世を支配される救い主、圧政下に置かれて苦しんでいたユダヤ人たち同胞を政治的に解放してくれる王という、自分たちにとって好都合なイメージでだけ待ち望んでいたのでした。しかし神のご計画では、ユダヤ人のメシアはまず「苦難のしもべ」として来臨され、『福音』を宣べ伝え、十字架上で死なれ、昇天された後、再び「勝利の王」として来られることになっていたのでした。
このことは、望遠鏡で遠方を見るとき、重なっている二つの山が横に並んでいるのか、縦に距離を置いて隔たっているのか判別できないことを体験済みの方なら、容易に理解していただけることだと思います。「神の国」を支配する勝利の王としてのユダヤ人のメシアはまだ来ていないと、その来臨を未だに待ち望んでいる《ユダヤ教》と、あの十字架につけられたナザレ人イエスこそ、人類の救い主であると信じる《キリスト教》とが分かれたのは、ここに理由があるのです。


主のことばによって、天は造られた。
天の万象もすべて、みくち御口のいぶきによって


と、詩編の著者によっていぶき(息)と表現されている神の霊(聖霊)は、神のことばとともに、あたかも神の片腕であるかのように創造のわざ業にたずさ携わられ、イエスの御降誕、洗礼、荒野での試練、犠牲の死、甦りのときをはじめ、いつもイエスとともに居られました。イエスの驚くべき伝道の業は、すべて聖霊の導きによるものでした。
 使徒ルカは、新約聖書のルカによる福音書と使徒の働きの中で、イエスが肉の体で人間とともにこの地上に住まわれたときから、やがて「キリストの霊」として地上に存在されるようになるしばしの間(キリストが父なる神の御許におられる間)、すなわち、キリストの再臨までの過渡期に起こること、また、現実に起こっていることを記しています。すなわち、使徒の働きには、イエスが、復活され、昇天された後もひき続き、イエスが行ない始め、教え始められたすべてのことを、聖霊を通して行なっておられるということが書かれているのです。
 イエスが苦しみを受け、罪人として死刑に処され、復活され、昇天されることは、イエスの弟子たちが神の恩寵を受けるための唯一の方法でした。すなわち、父の約束の聖霊(遍在のイエスの霊)が、イエスの代わりに来られることによって、イエスを信じるすべての者の内に宿られることが可能になったのです。


聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます


とイエスが語られた聖霊は、五旬節の日(ペンテコステの日)に、信じる者すべてに与えられました。
 イエスの昇天とペンテコステの出来事は、聖霊の導きによる、異邦人への福音伝道の時代、教会成長の時代という新しい時代を画することになりました。聖霊の力により、キリストの福音がもたらされ、信じる者が集まるところには、エルサレムという地理的な束縛を越えてどこにでも、神の宮、教会が建てられ、福音の業は、世界中に広がりました。天の父なる神がイエスの名によって遣わされた真理の(みたま)御霊とも呼ばれる聖霊は、人々を罪に目覚めさせ、真理へと導いて下さる助け主であり、聖霊の助けがなければ、神、キリスト、聖書を理解することはできないのです。

あなたがたは、世にあっては患難があります。
しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。

全世界に出て行き、すべての造られた者に、
福音を宣べ伝えなさい。
信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、
信じない者は罪に定められます。
信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、
わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、
蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、
病人に手を置けば病人はいやされます。


聖霊に満たされた弟子たちは、師イエス・キリストの大宣教命令を受けて、全世界に『福音』を伝えるべく、乗り出していったのです。

 

神の約束