ク リスチャン・カウンセリングは
ノン・クリスチャン・カウンセリングと大きく異なっています。
究極的な目的が全く違っているのです。
どのように違っているのか簡単にご説明いたしましょう。


「だれ か、助けて!」から

七つのステップ

  悩んでいる人たちの諸問題に直面させられるとき、人が利己的、自己中心的に
いかに深くなり下がり得るかに気づかされます。人の諸問題は人の内なる感情を
掻(か)き乱しますが、苦境にある人が求めるのはこの乱された感情−怒り、不安、
罪悪感といった否定的な感情―からの即座の解放です。
それはあたかも、気分さえよくなれば、すべての問題が解決し、
解放されると信じているかのようです。

  しかし、クリスチャン・カウンセリングの究極的な目的は、カウンセリー
(カウンセリングを受ける人)がどのような問題に直面していようと、
すべての人たちをキリストに似た者になるように導いてあげることです。

  クリスチャン・カウンセラーが助けの手を差し伸べ、苦境にある人たちの重荷を
軽くしてあげようと試みるとき、カウンセリーを聖書的でない目標、すなわち、
苦痛を取り除いてあげさえすればよいという目標へと導いていくことの方が
むしろ易しいので、それがゆえに、クリスチャン・カウンセラーは、
人助けのときのキリスト者の究極的な目標が、苦境にある人を
イエス・キリストに似た者になるようにしてあげることであるということを
いつも心に留めておかなければならないのです。

  もし人の感情に関心を払うあまりこの聖書的な目標を脇に押しやって、人の幸せを
優先にする方向へとそれると、クリスチャン・カウンセリングは世間一般のレベルに
なり下がってしまうことになります。
もちろん私たちは、苦境にある人たちに援助の手を差し伸べ、緊張を減らし、
重荷を軽くし、乱された感情の抑圧に対処する等々できるかぎりの助けを
してあげなければなりませんが、イエス・キリストのようになるための助けを
し損ねるという犠牲を払ってまでそうするというわけではないのです。

クリスチャンでない療法士や精神科医やカウンセラーの考えは、ほとんどすべて
人道主義的な前提に基づいているので、人間の幸福と福祉を第一優先と
みなします。とすれば、そのようなカウンセラーたちにとっての究極的な目標は、
人々の気持ちがよくなるように援助することです。

こ こで一休み
音楽に耳を傾けてみましょう!

枯れ木をクリッ クしてみてください!

music

枯れ木が生き生きとよみがえってきますよ!


ノン・クリスチャン・カウンセラーの大多数が、A・ラザロスの著書『行動療法とその先』 (マックグロウ・ヒル)に記されている見解「もし権利を施行(しこう)する過程でだれかを傷つけたりすることがなければ、人間は何でも自分を喜ばせること をし、考え、感じる権利が与えられているのです」を支持し、カウンセリングの大前提としているので、      クリスチャンとノン・クリスチャン・カウ ンセリングと では、目標が違うため       個人的な問題へのアプローチの仕方に自ずと、大きな違いが生じてくるのです。

  このように、世間のカウンセラーは聖書的な基盤から問題に取り組んでいこうとは  しないので、 何であれ、自分を幸せにすることになるとカウンセリーが思っていることを達成できるよう助けてあげることを追求するのです。

しかし、クリスチャン・カウンセリングの根拠は聖書、神の言葉にあります。
聖書は、
人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。
(箴言14:12)と語り、
人が自分を喜ばせること、気分がよくなること、自我を満たすためにのみ生きるとき、 問題解決どころか、取り返しのつかない、霊の死(神からの永遠の別 離)への墓穴を掘ることになると警告しているのです。

それでは、クリスチャン・カウンセリングが推奨(すいしょう)する、
解放と平安の人生の秘訣を七つのステップを通して探ってみましょう。

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