カウンセリング       

いじめ


  心の病いに苦しんでいる 人たちに対し、間違った『認知パターン』を合理的に
    否定し、考え方を変えることによって否定的な感情を取り除き、
    間違った『行動パターン』を立て直していくと いう精神療法が一般医療機関で
    導入されてきているようですが、聖書的見解が反映されている治療法です。

  心の中でいつも思っていることは、正しい、間違っているを問わず、あなたが
    人生をどのように認識し、どのように解釈しているかの表れで、あなたの信念
    として定着し、あなたの行動に反映されるのです。

  そこで、あなたが、あなたに起こる色々な問題に対してどのように考え、
   捉(とら)えているかを知ることはあなたの気持ち、行動を変える大きな助けに

なります。                         参照カウンセリング −疑問―
  

いつもおとなしく控え目なAさん、直属の上司の心ない取り扱いに常々悩んでいました。事あるごとに公の場で、Aさんをひどく非難し、ささいなことを取り上げて叱り飛ばし、辱(はずかし)め、笑いものにする上司Bさんの態度には目に余るものがありました。

 その日も、書棚に本を入れるため、社則の「脚立(きゃたつ)使用時には片方の手で
脚立を抑えて作業すること」に反して、抱えた多くの本が落ちないように、両手を本に
かけていたAさんを目ざとく目撃したBさんの集中攻撃が始まったのです。

  多くの人たちの前でまたもや罵倒され、さらしものになったAさん、ついに切れて
しまいました。我慢に我慢を重ねて、いつも言われるまま引きさがっていたAさんも
その日ばかりは自分の内に秘めていた怒り、積年(せきねん)を爆発させる以外、
すべがなかったのです。

  あとで、Aさんは大変な自責の念に駆られることになります。クリスチャンとして、聖書のみ言葉通り、人に迷惑をかけないように、また、人を傷つけたりすることが
ないように一生懸命生きてきたつもりなのに、このように非難の的になるということは
やはり、自分が弱いため、自分の罪(つみ)のため、自分に落ち度があるため、自分は
非難され、いじめられてきたのだという、自己非難の思いばかりがこみ上げてくる
のでした。
Aさんの気持ちは暗くなるばかりでした。

果たして、Aさんが達した結論は正しいでしょうか?

Aさんが切れてしまったことは、おそらく仕方のなかったこと、そのときは我慢してもどこかできっと「切れ」なければならないことだったのでしょう。人間は怒り、恨み、憎しみ、うっぷん、不満を全く発散させることなく、心に閉じ込めて、生きることは
できないのです。

  人間関係は本当に難しく、中でも「いじめの問題」はどの時代にも、どの世代にも、どの国にも、どの分野にも、社会にも家庭内にも普遍的に巣くってきた、また、この世が続くかぎり解消されることのない人間の罪に根づく問題です。

一言でいえば、いじめる側、いじめられる側、どちらが悪いという問題ではなく、 人間の罪の問題に帰結する、この世では完全な解決法のない複雑な問題です。

とはいえ、「いじめ」のメカニズムから次のことは指摘できます。いじめる者は
ひどくいじめられた経験があるか、あるいは、自分自身に劣等感があり、自分自身に
対するやり場のないうっぷん、不満を、だれか弱い者を見つけ、苦しめ、痛めつける
ことによって勝利感を得て、解消しようとするものであるということです。親の子への
虐待なども同じ、罪ある人間の心の病から生じるものです。

  どういった人が弱い者となるか、いじめの対象になるかは、いじめる人の価値観、
好き嫌い、生い立ちなどによって差がありますから、一概には言えませんが、たとえば、かつて自分をいじめた人に似ているといったことだけでも攻撃の対象になるのです。
ですから、Aさんが、Bさんにとって恰好な餌食(えじき)となってしまったのは、
Aさんの問題というより、多分にBさんの側に要因があるようです。

  理不尽な攻撃を受け、公の場で恥をかかされることが続くと、私たち人間の尊厳が
失われ、自尊心がひどく傷つくので、とても相手(いじめる者)の側に立って理解しようという気にはならないし、そうしようと思う者はほとんどいないものですが、別の視点 から物事を見てみようとする姿勢は問題解決のために必要です。

そこで、いじめる者の側に、そのような形でうっぷんを晴らさなければならないような大きな問題が必ずあるということを理解することができれば、おそらく、いじめられる側の反応も変わってくるのではないでしょうか。

い じめる側のほうが、いじめられる側より、はるかに心に平安がなく、自分の中に押し込めた大きな問題を抱えていることを知れば、少なくとも、恥をかかされ た、いじめられたという外的な要因だけで、自分をみじめに思うような反応の仕方からは、解放されることになるのではないかと思います。

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哀れな人を守ってくださる主は、弱り果てた私を救ってくださる。
私の魂よ、再び安らうがよい、主はお前に報いてくださる。

詩篇116:6−7(新共同訳)

人よ、何が善であり、
主が何をお前に求めておられるかは、

お前に告げられている。
正義を行い、慈しみを愛し、

へりくだって神と共に歩むこと、
これである。
 ミカ書6:8

Aさんの存在価値をだれよりも(Aさん自身よりも)よく知っておられ、愛して   おられる創造者なる全知全能の神がAさんを愛し、「Aさんという世界でただひとりの 貴重な存在(聖書は、ちまたで信じられている「輪廻転生(りんねてんしょう)」、他人や他の生き物への生まれ変わりという概念をきっぱり否定している)を神の器、
主の証人と して用いてくださると聖書は約束しているのですから、Aさんは、他人が     そのように評価したからといって、自分を卑下したり、嫌ったりする必要は毛頭なく、  主イエス・キリストとの正しい関係に自信を持って、「キリストに愛されている者」   として歩み続ければいいのです。

敵を愛し、あなたがたを憎む者に
親切にしなさい。
悪口を言う者に祝福を祈り、
あなたがたを侮辱する者のために
祈りなさい。
  ルカ6:27−28

キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。
古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
これらはすべて神から出ることであって、神は、
キリストを通してわたしたちをご自分と和解させ、また、和解のために
奉仕する任務をわたしたちに
お授けになりました。
  
コリント人第二5:17−18

自分に罪がないと言うなら、
自らを欺(あざむ)いており、
真理はわたしたちの内にありません。
自分の罪を公に言い表すなら、
神は真実で正しい方ですから、
罪を赦し、あらゆる不義から
わたしたちを清めてくださいます。

ヨハネ第一1:8−9

   

  今回のことを通して、Aさんがもし、だれかをいじめることで自分の存在感、存在  価値を確かめなければ生きていけないような、そのような相手(いじめる者)の心の   貧しさを思いやり、自分をいじめたBさんを赦すことのできる人へと成長することが   できれば、きっといつの日か、Bさん自身が罪の束縛から解放されて、変えられる日が 来るのでは ないでしょうか。

   その反対に、Aさんが決してBさんを赦すまいと心をかたくなにするなら、いつの日かAさん自身が、Cさんという自分より弱い立場にあると見定めた人を、自分がいじめ られたようにいじめ返す危険性は十分にあるのです。

  かつていじめられた「犠牲者」が、今度はいじめる「加害者」になるという、
改善されることなく繰り返されている人間史は、すべて、罪人(つみびと)である人間の所産なのです。

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